「オパールは私に目的と夢を与えてくれました」と語る
はじまりの旅 ― 小型機から降り立って
小型機から降り立った山崎さんは茫然となる。
街並みどころか家一軒も見当たらない。原野に造られた滑走路。
さらに不安になったのは、迎えに来るはずの女性オーナーが時間が経っても姿をあらわさない事でした。
オーストラリアの東部の鉱山ライトニングリッジの町、
山口県下関市からシドニーを経由して鉱物の町に入ったのが昨年の9月の事である。
虹色をした宝石オパールを九州・山口で手広く販売出来たら将来福岡に出て拠点ビルを構えたい。そんな夢を抱いての買い付けの旅でした。
いくら待っても滑走路に近づく人がいないため、山崎さんは荷物を背負って、パイロットが迎えの車で走り去った方向へ歩き始めた。このことが結果オーライとなるのだから、人生不思議なものだ。
誰も迎えに来なかった空港
原野に伸びる道を何時間歩いただろうか? 1軒の民家に行き着く。
町の警備担当の家でタクシーを呼んでもらい、やっとのことでホテルに入ることが出来た。
ライトニングリッジは世界で1カ所、最高級のオパールが採掘される郷として知られている。
その日のうちに女性オーナーのオフィスを訪ねたのですが、オパールの価格が高すぎて商談がまとまらないまま。見学して帰国しようと町の中を歩いていたら、ばったり警備担当の人に再会です。
彼にいきさつを話したところ、意外な言葉が返ってきた。
友人の2人が採掘とカットを組んでやっているから紹介しようと言うのだ。
早々訪ねてみて意気投合、一方の家族の夕食に招かれた。
偶然の出逢いが道を開く
「日本から女性が1人、オパールの為に訪ねてきて何がなんでも頑張る、そんな風に興味を抱いたようです。それに応援し何とか安く卸してオパールの仕事を開始したいという事で意気が合ったようですよ」と語る。
偶然彼らの親族が東京に出てオパールを扱っていた。そんな幸運が重なって、
ライトニングリッジ → 東京(日本)→ 山崎さんの買付ルートが出来たのです。
信頼から生まれた買付ルート
下関生まれ、地元の高校を卒業後、北九州のデパートに3年間勤めた。
営業時間が延び帰宅が遅くなったことから辞め、下関でアルバイトを続ける。
その後カメラ会社に勤め、社長の奥さんが扱っていた化粧品も手掛けた。
オパールとの出逢い
オパールとの出逢いは、オーストラリアでツアーガイドをしていた兄から、母と彼女あてに2つの美しい石を贈られてきたことだった。
「深い紺色できらめく素晴らしいオパールで、友人も羨ましがる。兄から現地の話を聞いて、行きたくなって。」
夢に向かって
それから英会話学校に通う。カメラ店での仕事・化粧品の販売、夜遅くまで働き学んだ。
昨年の9月、オーストラリアに渡り、自分の目で見て回った。
そしてさらに資金をため翌年買い付けへの旅。
ニュージーランドにいる兄を通じて別ルートも出来、九州・山口の有名デパートで委託販売をする。
オパールで人生が変わった。それは、目的ができたから。多くの人にこの石を身に付けてもらいたい。そして、一緒に虹色の夢を見ることができたら――。そんな想いで、山崎さんは今日も歩み続ける。


